「型」より入って自在の境地
私が「お茶」の作法を習い始めたのは、おいしいお菓子とお茶をなんとなく静かな雰囲気のなかでいただけることに憧れたからでした。
最初に習うのは、立ち居振る舞いとか、ふすまの開け方、お茶の点て方、挨拶の仕方などです。
半年か1年くらいで平手前という基本的な所作と点て方を学びます。気がついたら静謐で凛とした空間で、お茶とお菓子を自然に味わっている自分がいました。
それを毎週1回、1年ぐらい続けるとお稽古が終わったあと何か清々しい、力が満ちてくるような感覚になりました。とても不思議ないい気分でした。
この感じをもう一度味わいたいがためにずっとお茶を続けているのかもしれません。
お茶の所作のなかには禅やヨガと共通するものが入っていて、体系化されていると知ったのはその後のことです。
姿勢と呼吸は重要なポイントになっています。あごを引き、姿勢を正して、深くゆっくりとした呼吸をすることによって精神が安定し、アルファ波がでることはよく知られています。
お茶を飲むという日常的な行為のなかでこの状態に近づくには、「茶道」をやるのがいいのではないかと思います。
最初は先生の言われるままにお稽古をし、手順を間違えウロウロ、(なぜこんなややこしいことをするのだろう)と思っていました。ところが、ずっとひたすら素直に続けていくと、ある日突然に視界が開けてくるのです。
それは、聴覚からやってきます。鋭敏になった心と身体はいろいろなものを映し始めます。
「木々のざわめき」「風の音」「茶筅を振ってサラサラシャカシャカ、茶を点てる音」「柄杓から釜へ湯を戻す音」などです。
五感が働き、第六感まで連れてくるのです。
「お茶は堅苦しい」と思われているのは、「型」というものがあるからだと思います。
皆さんは最初窮屈に感じられるかもしれませんが、この「型」どおりにやるのはかえって楽なのです。その通りにやればいいのですから。繰り返しの心地よさというものもあります。
「型」を長年続けていくうちに、だんだん格好がついてきて、さらに続けると「目と心と身体の動き」が一致して、流れるように自然な美しい姿になります。
そこには「型から入り、型を出る」という、なにものにもとらわれない自由自在な境地が待ちうけています。
いちばん大事なのは、形にとらわれずに「真心をつくす」こと。そこに「風姿」ともいうべき本来の人間の姿が現れてくるように思います。
(宗純)