カンボジア特別法廷は、元クメール・ルージュ高官のヌオン・チア被告(92歳)とキュー・サムファン被告(87歳)に大量虐殺の罪で有罪判決を言い渡した(11月16日)。
2人はポル・ポト政権の高級幹部で、前者は人民代表議会常任委員会議長で序列第2位、後者は国家幹部会議長(国家元首)。1975年4月~1979年1月の同政権下による暴力支配で推定100~180万人とも言われる死者(拷問・処刑・虐殺、病死、餓死)をだし、2006年に同法廷が設置され、裁判が行われていた。
同法廷の最初の有罪判決は2010年、プノンペン市トゥール・スレン刑務所のカイン・ゲク・イウ所長。これで有罪判決は3人となる。
トゥール・スレン刑務所は暗号名Security office 21、通称S.21。もとはTuol Svay Prey高校の学舎だったが、クメール・ルージュが接収。S.21は続々と送り込まれてくる強制投獄者ですぐに溢れてしまうため、非情にも、同地から南西15キロのChhoeung Ek(通称“キリング・フィールド”)に次々に移送して処刑した。
3階建・4棟のS.21(約1万7000人収容)は高校の校舎だった
S.21に収容されて生き残ったのはわずか8人。そのうちの1人が写真のBou Meng氏。いまでも旧S.21の敷地内の一角で生き証人として、過去の陰惨な歴史を自著と口述で伝えている。
生存者(SURVIVOR)のBou Meng氏
(3点とも©2018KazunoriShirouzu)
旧S.21には、血痕が飛び散った尋問室、煉瓦で仕切られた1畳余の薄暗い窮屈な独房が現在も残され、拷問器具のほか、壁一面に貼り付けられた収容者の顔写真、人骨――なども展示され、当時の惨状が目に浮かぶ。
逃走して約19年も生き延びた絶対権力者ポル・ポトは1998年4月、タイ国境近くのカンボジア北部Anlong Vengで死去している。
(白水和憲)