親中派のフン・セン首相、日本への秋波は形だけ?

 カンボジアのフン・セン首相が来日、5月29日に都内で大勢の日本企業関係者を前に投資誘致をアピールした。超・中国シンパで有名なフン・セン首相がどの程度に日本との友好を望んでいるのか知りたかったが、紋切り型の関係強化を強調することに終始したのは残念だった。

 理由はハッキリしている。現状、カンボジアは中国からの多額のインフラ建設支援や直接投資(国別では中国が全体の7割を占める)があることで、日本の協力がすぐに必要というほどではない。そのため、日本への期待感も案外薄いというのが透けて見えた。では、なぜ、フン・セン首相は来日したのだろうか。

フン・セン首相(東京:ホテルニューオータニ)
20190529 ©KazunoriShirouzu

 直接の来日理由は、5月30・31日開催の国際交流会議『アジアの未来』(日本経済新聞社主催)にマレーシア・マハティール首相、フィリピン・ドゥテルテ大統領、バングラデシュ・シェイクハシナ首相などと並んでフン・セン首相もパネラーとして招待されたからである。その日程に併せて、29日を予備の日として用意し、日本企業関係者との個別対話の機会を設けた。自らのスピーチを済ませたあとはすぐに会場を去ると思いきや、2時間ずっと居続けた。

 当初予定にはなかったパネルディスカッションにも急遽参加し、司会者が困るほどに時間の配分を無視し、ダラダラと話し続けた。結果的に、予定していた日本企業関係者の貴重なカンボジア経験談の講演時間の枠が10分の1にカットされた。

首都プノンペン市内に目立ち始めた高層ビル
©KazunoriShirouzu

 フン・セン首相は1998年11月に第3代カンボジア首相に就き、以来20年半、その座にある。スピーチはもともと苦手なほうだろう。しかし、絶対権力者であるフン・セン首相に誰かが上手なスピーチの仕方を指南するなんてのはもってのほか。そのため、原稿の棒読みしかできない。前回の来日(2018年10月9日「日本・メコン地域諸国首脳会議」)でのスピーチも同じだった。

 かつてフン・セン首相はあの過激な武装組織クメール・ルージュの指揮官であり、ポルポト派に属していた。77年6月に離脱したとはいえ、旧ポルポト派の生き残りという過去は消せない。欧米はじめ日本の懸念もそこにある。

 日本政府も日本企業もフン・セン首相の過去は「昔のこと」として濁すしか仕方ないのだろう。日本の戸惑いをフン・セン首相も知っているに違いなく、従って、どこまで日本を信用していいのかもわからないはず。それがいまも日本とカンボジアの間に横たわる有形無形の距離感となってあらわれているのではないか。

(白水和憲)

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