神戸とアーメダバードの連携強化にモディ首相が肩入れ

 G20大阪サミットのために来日したインドのモディ首相は6月27日、神戸市を訪れ、同市とインド・グジャラート州アーメダバード市の経済交流促進に関する意思確認書締結の場に立ち会った。

 モディ氏はグジャラート州首相(2001年10月~2014年5月)からインド首相(2014年5月~現在)に登りつめた。首相就任後の2015年12月には、インド高速鉄道に日本の新幹線方式導入を決定、日印間で合意した。数あるターミナル駅(終点・起点)候補の中からアーメダバードが選ばれたのも、モディ氏のおひざ元がグジャラート州であったことと無関係ではない。

 現在、もう一方のターミナル駅であるマハラシュトラ州ムンバイとの間(508キロ)の工事が2023年完成に向けて建設中。このプロジェクトは入札で日本が中国に競り勝ったもの。勝因は安倍首相のトップセールスと優遇借款(利息わずか0.1%)の条件提起の2点が挙げられる。

 モディ首相は2016年11月の来日時には安倍首相の案内で新幹線車両製造を行う川崎重工業兵庫工場(神戸市)を視察している。モディ首相は州首相時代も含め神戸を訪れるのは今回が4度目となる。

州首相時代のモディ氏。多くの外資企業を前に投資誘致をアピール(アーメダバードで)
©KazunoriShirouzu
アーメダバード近郊には日系を含む外資企業の進出が増加中だが、依然とのどかな風景も多く、結婚式の披露宴会場に向かう馬上の新郎にも遭遇する。
©KazunoriShirouzu

 明治時代から神戸と横浜には貿易業を営むインド人が住んでいた。大正12年(1923年)9月、関東大震災(1923年9月)が起き、横浜のインド人たちの多くが神戸に逃れ、移住。結果的に、神戸のインド人コミュニティが膨らんだ。この神戸に集まったインド人はグジャラート出身者が多かった。

 2001年1月グジャラート州カッチ県で起こったインド西部地震(死者2万人以上)の際は兵庫県や神戸市が同州を支援したことで、両者の関係がいっそう深まっている。

 2000年代以降、日本にはインド人IT技術者が数多く流入し、東京の江戸川区や江東区に大規模なインド人コミュニティーが誕生した。しかし、いまや3世・4世の時代となっている神戸のインド人コミュニティーとはかなり様相が異なっている。

 ところで、1950年代末からTV紀行番組『世界の旅』(TBS系)のレポーターを31年も務め、エキゾチックな美貌と軽妙な語りで絶大な人気を博し、今年1月に亡くなった神戸市生まれの兼高かおる(本名:兼高ローズ)さんは、日本人(母親)とインド人(父親)のハーフである。

(白水和憲)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください