インド・ソフトウェア産業の草創期に颯爽と登場し、以後も長くインドITをけん引したファキール・チャンド・コーリ(Faqir Chand Kohli)氏が先月の11月26日に亡くなった。96歳だった。“インドITの父”として尊敬を集める偉大な人物だった。
コーリ氏は1924年に当時の英領インドのペシャワール(現パキスタン)で生まれた。ラホールのGovernment College Universityやパンジャブ大学卒業後、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)で修士号を取得、帰国後はインド最大財閥のタタ・グループに入る。J・R・D・タタ総帥の支援のもと1968年4月にIT企業タタ・コンサルタンシー・サービス(TCS)を設立して初代CEO(最高経営責任者)に就任、爾来、1996年までCEOを務めた。
私がコーリ氏に初めて会ったのは1997年3月。インド・マハラシュトラ州ムンバイのナリマンポイントにある海(バック湾、アラビア海)に面したTCSオフィスだった。既にCEOを辞し、副会長になっていた。
インドと日本の関係について聞くと、「インドはソフト、日本はハードに強い。インドと日本が協力すれば高度なソフトウェア開発が可能だが、日本人は英語が不得意なので、我々との共同作業がうまくいかないんだ」と即答し、英語の壁が日印技術交流の妨げになっていると力説する姿が印象的だった。
ところが、間もなく、ソフトもハードも強い中国がインドITの強敵として現れて以来、コーリ氏は、「インドがITハードウェア産業を発展させなかったことを後悔している」と、後年ぼやいていたらしい。
あの当時、ハードに強い日本が英語の壁を克服し、日印IT開発協力をうまく進めていれば、コーリ氏の憂いも生まれなかったのではないかと思ったりした。
また、コーリ氏は生まれ故郷パキスタンへの郷愁も強く、印パIT協同事業を希望していたが、実現しなかった。
(白水和憲)