2001年11月にアフガニスタン国土の片隅に放逐されたはずのイスラム原理主義過激派組織Taliban(※)がこの8月15日、首都カブールを制圧し、全土掌握を宣言。イスラム原理主義に基づく暗黒の統治が20年ぶりに始まる。これを機に、隣国パキスタンの内患外禍も複雑化してきた。
(※ Talibanは現地語・英語など表記や発音の違いから日本語でもタリバン、タリバーン、ターリバン、ターリバーンと各々表記される)
ペシャワールを中心とするパキスタン北西部に居住するパシュトゥン人は、実は、アフガニスタンの最大民族でもある。同じ民族が2つの国に分断されているのだ。
1990年代にソ連・アフガン戦争に際してパキスタン軍統合情報局(ISI)がイスラム神学校のパシュトゥン人神学生(Talib)を中心にTalibanを育てあげ、アフガニスタンに送り込んだ。そのアフガンにはアメリカで9.11事件(2001年)を引き起こしたAl-Qaedaが逃げ込んでいた。Talibanはアメリカ軍のアフガン攻撃によって2001年11月に政権崩壊、アフガンの山岳地帯に四散する。 Al-Qaeda の司令官Usama bin Ladinは潜伏先のパキスタンで2011年5月1日アメリカ特殊部隊の攻撃によって爆死したとされる。
近年、そのアフガンに中国が登場してきた。資金力にものを言わせ、「一帯一路」計画でまずパキスタンを篭絡、復活したTaliban政権にもさっそく近づき、一帯一路の回路をアフガンにまで広げようとの思惑が目立ってきた。
古くはアレキサンダー大王やモンゴル帝国、チムール大王、近代においては大英帝国、旧ソ連、アメリカがアフガンに介入し、ことごとく敗れ去った。パキスタンはソ連・アフガン戦争やTaliban・Al-Qaeda殲滅作戦で先兵として散々アメリカ軍に利用されてきたが、今度は軍事・経済侵略の野心を隠さない中国がパキスタン経由でアフガンに登場してきたという次第。
これらが「外禍」とすれば、「内患」はパキスタン南西部に居住するBalochi(バローチー人)の問題である。
彼らは国境を越えてアフガン南部からイラン南東部にまで広がり、この一帯には17世紀にバロチスタン藩国があったが、パキスタン独立とともに消滅し、パキスタンの一州(バロチスタン州)として存続しているに過ぎない。しかし、現在もバローチーはパキスタンへの帰属に反感を持つ者が多い。
そこに過激派3派(BLA=バロチスタン解放軍、BLF=バロチスタンン解放戦線、BRA=バロチスタン共和国軍)がバロチスタン独立を掲げ、入り乱れて武装闘争を展開中。
そうした中、中国が借金のカタに取り上げたのがアラビア海沿岸グアダル港だ。貿易港としてだけでなく軍港としての機能もあるとされる。中国はこの一帯に中国人労働者を大挙送り込んでいるが、彼らを標的にした過激派の自爆テロが頻発している。
このグアダル港からバロチスタン州都クエッタを通り、国境を越えてアフガン第2の都市カンダハルまで陸路(1,150キロ)でつながっている。
「アフガニスタンは世界最貧国のひとつだが、金、銅、鉄鉱石、レアアース、リチウム、ウランなど推定価値1兆ドル以上相当の鉱物資源があり、中国が狙わないわけがない」(パキスタンのI&MグループCEOのS.B.Hassan博士、Zoomでの面談)
旧ソ連やアメリカと違い、中国にとってTalibanは商談相手なのだろう。
パキスタンの東方には独立以来の永遠の敵インドが控え、隙あらばカシミールの領土侵犯を繰り返す。パキスタンの内患外禍が簡単に取り払われることはなさそうだ。
(白水和憲)