10月10日、パキスタン「原爆の父」A.Q.カーン博士が首都イスラマバードの病院で死去した。85歳。地元紙Dawnによると、カーン博士は8月下旬に新型コロナウイルス感染で入院、いったん退院したものの、今月9日に体調を崩し病院に運ばれていた。
1998年にイスラム圏で初の核保有国(世界では7番目)となったパキスタンだが、その立役者であるカーン博士は一躍英雄となった。しかし、イラン、リビア、北朝鮮への核技術不正輸出の中心人物として2004年に逮捕。2009年まで自宅軟禁状態だった。
カーン博士を中心とした核技術取引ネットワークである「核の闇市場」が出現したことで、世界の核不拡散体制は揺らいだ。現在まで続く北朝鮮・イラン核問題の元凶とされた。ただ、核技術の拡散がカーン博士個人の意志かどうかについては現在も未解明のまま。
北朝鮮やイランを「悪の枢軸」と呼び、カーン博士を「枢軸の背後の悪」と指弾したのはアメリカ。その一方で、パキスタンは世界で5大国(米・ロ・英・仏・中)にしか認められていない核保有に対する強い異議申し立てを行い、核の独占を批判。しかも隣国インド(パキスタンよりもわずか17日前に6番目の核保有国となった)に対する核安全保障を確立したとして、カーン博士は「国民の象徴」として讃えられた。
パキスタンのイムラン・カーン首相はツイッター投稿でカーン博士の死を悼んだ。10日、国葬が実施された。
写真=©KazunoriShirouzu
(白水和憲)